自然療法シリーズ・日本の伝統処方薬・家庭薬婦人薬─実母散と中将湯─" /> 自然療法シリーズ・日本の伝統処方薬・家庭薬婦人薬─実母散と中将湯─ – 日本メディカルハーブ協会
2021.7.30

自然療法シリーズ・日本の伝統処方薬・家庭薬婦人薬─実母散と中将湯─

京都薬科大学名誉教授

吉川雅之

はじめに

女性には、月経、妊娠、出産、産後、更年期などでの女性ホルモンの変動に伴って精神不安や苛立ち、不眠などの精神神経症状や、腰痛、頭痛、立ちくらみなどの自覚症状および自汗、頻尿、便秘などの身体症状が現れることが知られています。これらの女性特有の病態は、漢方独特の病名として“血の道”と表現され、近年になって西洋医学的な検討が加えられて“血の道症”と定義されています。昔は、月経や産前産後の処置が出血を伴う腹部の外傷と類似の症状と考えられ、刀傷などを扱う金創医が助産や治療に当たり、その治療には金創薬が用いられました。金創薬は、軍陣外科薬として戦時の手負いの際に緊急に用いるものですから、手間のかかる煎じ薬では間に合いません。それで、簡便な振出し薬(ティーバッグ方式)が開発され、婦人薬にも適用されました。安土桃山時代から“血の道”の治療薬として、山田振り薬(安栄湯)をはじめ、同類の振り薬として竜王湯、白朝散、蘇命散などの婦人薬が各地で創製されました。戦国時代に発展した金創術が、太平の世になって婦人病の治療に用いられるようになり、振出し薬が婦人薬として広く用いられるようになったことがわかります。本稿では、江戸(東京)の振出し薬、実母散と中将湯についてご紹介します。

実母散

実母散は、江戸では最もよく知られた婦人薬で、日本橋と京橋へ抜ける目抜き通りの中橋(現在の八重洲通りと中央通りが交差するあたり)には実母散の看板を掲げて“元祖”や“本家”と名乗って販売していた売薬店があったそうです。江戸時代から今日までその名が伝わっているものに千葉実母散と喜谷実母散があります。

千葉実母散の創業は、室町時代の応仁の乱の頃の1470年と伝えられ、四代千葉勘兵衛が観世音菩薩の霊夢によって処方や用法を授かったとの伝説が語り継がれています。同家には徳川家康の真筆と伝えられる看板や菊花紋章を用いることが許可された書状などがあるそうです。一方、喜谷実母散は薪炭業を営んでいた喜谷市郎右衛門が長崎から来た医師の世話をして、そのお礼として薬方が伝授されたことに始まります。1713年に売薬業に転業し実母散の名前で売り出したと記録『耳袋』(根岸鎮衛)に残されています。喜谷実母散((株)キタニ製)の効能・効果は、更年期障害、血の道症、月経不順、冷え症およびそれらに随伴する次の諸症状:月経痛、腰痛、のぼせ、肩こり、めまい、動悸、息切れ、手足のしびれ、こしけ、血色不良、便秘、むくみの改善で、女性保健薬として永年にわたり利用されてきました。構成生薬は、1包(11.25g)中、トウキ、センキュウ(各2.25g)、センコツ、モッコウ(各1.12g)、ケイヒ、ビンロウジ(0.94g)、ビャクジュツ、オウゴン(各0.75g)、チョウジ(0.56g)、オウレン(0.38g)、カンゾウ(0.19g)となっています。千葉実母散と喜谷実母散の処方は類似しており、喜谷実母散にカノコソウとチクセツニンジンを加えたものが千葉実母散の処方になります。用法は大人1日1包を、1回目は熱湯180mL(大き目の茶碗1杯)に浸して振り出し、朝食前に服用する。2回目は1回目に使用した実母散を同様に振り出して昼食前に服用する。3回目と4回目は2回目に使用した実母散に水270mLを加え、半量になるまで煎じ詰め、夕食前と就寝前に分けて服用します。

ちなみに、今日のティーバッグが考案されたのは20世紀の初頭に米国ニューヨークでのことです。紅茶の卸商がサンプルを小さな絹布の袋に入れていたところ、顧客が何を間違えたかサンプルの絹布袋をポットの熱湯の中に入れて飲むというハプニングが起こりました。それをヒントに、紅茶の1回分を絹布袋に入れて小分けして売り出したのが始まりといわれています。日本では、16世紀中頃には振出し薬が汎用されていたことが『婦人寿草』(香月牛山かつぎぎゅうさん)などに記録されており、実母散はティーバッグの草分けのひとつといえます。

実母散の構成生薬─主剤はトウキとセンキュウ─

・センコツ(川骨)

スイレン科の水生植物コウホネの根茎。強壮、止血、浄血などを目標に治打撲一方などの処方に配剤される日本民間薬。

・ビンロウジ(檳榔子)

ヤシ科の常緑高木ビンロウの種子。駆虫薬や婦人薬、咀嚼性嗜好料に配剤。

・オウゴン(黄芩)

シソ科の多年生草本コガネバナの周皮を除いた根。炎症、胃部のつかえ、下痢、腹痛などに適用。

・カンゾウ(甘草)

マメ科の多年生草本Glycyrrhiza uralensisなどの根とストロン。鎮咳、去痰、粘滑、緩和、矯味、解毒を目標に繁用される。甘味料として食品にも用いられる。
※その他の生薬は本誌の前号(家庭薬1、2、3)に収載。

中将湯

中将湯の由来には、謡曲『当麻』(世阿弥)や浄瑠璃『当麻中将姫』(近松門左衛門)をはじめ、文楽や歌舞伎などで有名な中将姫の物語が深く関係しています。藤原豊成(藤原鎌足の孫)を父にもつ中将姫は、その美貌と才能に恵まれながら継母のいじめや折檻、さらには命さえも狙われます。13歳のときに三位中将の位をもつ内侍ないしとなり、16歳のときには后妃に望まれますが、世上の栄華を望まず仏門に入ります。奈良の当麻寺で仏行に励んで1年後に“法如”という戒名を授かります。悟りを開いた26歳のときに長谷観音のお告げにより一夜のうちに蓮糸で『当麻曼荼羅』(当麻寺本殿に現存)を織ったとの伝説が残されています。また、薬方や薬草の知識を学び多くの人を助けたとも伝えられ、交流のあった藤村家に伝えた薬方が中将湯の原型と称されます。藤村家の家伝薬であった中将湯は嫁ぎ先の津村家に移り、1893年に津村重舎が東京の日本橋に“中将湯本舗津村順天堂”の看板を掲げて販売を始めます。その広範な宣伝のおかげで中将湯の名前は一躍日本中に浸透します。

中将湯((株)ツムラ)の効能は実母散と同様で、月経や更年期障害に伴う不快な症状の改善に用いられます。構成生薬は、1袋(12.5g)中にシャクヤク、トウキ(各2g)、ケイヒ(1.5g)、センキュウ、ソウジュツ、ブクリョウ、ボタンピ(各1g)、トウヒ(0.7g)、コウブシ、ジオウ(各5g)、カンゾウ、トウニン(各0.4g)、オウレン(0.2g)、ショウキョウ、チョウジ、ニンジン(各0.1g)となっています。用法は1、2回目は180mLの水で振り出し、朝夕食前に服用、3回目は2回目の袋を270mLの水で180mLまで煮詰めて就寝前に服用します。

中将湯の構成生薬─主剤はシャクヤクとトウキ─

・シャクヤク(芍薬)

ボタン科の多年生草本シャクヤクの根。鎮痙、鎮痛、緩和、収れんを目標に婦人病薬やかぜ薬、消炎排膿薬などに配剤。

・ソウジュツ(蒼朮)

キク科の多年生草本ホソバオケラの根茎。健胃、利尿、鎮痛を目標にして配剤。

・ブクリョウ(茯苓)

サルノコシカケ科のマツホドの菌核。利尿、健胃を目標に排尿異常などに適用。

・ボタンピ(牡丹皮)

ボタン科の落葉低木ボタンの根皮。駆瘀血作用があって婦人病薬などに配剤。

・トウヒ(橙皮)

ミカン科の常緑低木橙などの成熟果皮。芳香性健胃薬。

・コウブシ(香附子)

カヤツリグサ科の多年生草本ハマスゲの根茎。鎮痛、食欲不振、気鬱症などに適用。

・ジオウ(地黄)

ゴマノハグサ科の多年生草本アカヤジオウの根。滋養強壮薬、尿路疾患用薬、婦人病薬などに配剤。

・トウニン(桃仁)

バラ科の落葉高木モモの種子。消炎性駆瘀血、排膿、通経、緩下などを目標に配剤。
※その他の生薬は本誌の前号(家庭薬1、2、3)に収載。

京都薬科大学名誉教授
吉川雅之 よしかわまさゆき
当協会顧問。1976年大阪大学大学院薬学研究科修了(薬学博士)後、同大学助教授、ハーバード大学化学科博士研究員、京都薬科大学教授を経て、現在同大学名誉教授。日本薬学会奨励賞、同学術貢献賞、日本生薬学会学会賞など受賞。日本生薬学会会長、日本薬学会生薬天然物部会長などを歴任。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第41号 2017年9月