2025.12.25

ハーバルセラピストのための精油専門講座:第3回 精油の生理・心理作用の検証

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会 理事長

林 真一郎

1.はじめに

 精油をヘルスケアに用いたり予防医学のツールにするには科学的な根拠が求められます。昔は香りの生体への作用を検証することは極めて困難でした。それが生体計測機器の進歩などにより精油の生理・心理作用が徐々に明らかになり今日のアロマセラピーの土台を築いてきました。今回は過去に行われた生理・心理作用の研究を振り返ってみたいと思います。

2.CNVによる香りの生心理作用の検証  

 前頭葉の働きを端的に反映する脳波にCNV(随伴性陰性変動)があります。この手法を用いて香りの生理・心理作用を証明したのは日本のアロマセラピー研究の礎を築いた鳥居鎮夫先生(東邦大学医学部名誉教授)です。図1はCNVの実験の結果ですが黒い点ひとつが被験者ひとりを表します。香りを嗅がなかった場合のCNVの大きさを100として100以上の場合はその香りが興奮作用を持ち、100以下の場合は鎮静作用を持つことを意味します。図1を見ると興奮作用があるのはクローブ、バジル、イランイラン、ローズなどで、鎮静作用があるのはサンダルウッド、レモン、カモミールであることがわかります。1986年に英国のウォーリック大学で開催されたシンポジウムで鳥居先生がこうしたCNVの実験結果を発表した際に講演を聞いていたアロマセラピストが立ち上がって「今まで口づてに言われていたことをしてきたので不安でしたがこれで自信がつきました」と話されたそうです。そして「ドクタートリイ」の名前は欧米のアロマセラピストに広く知られることになりました。ところで興奮作用のある香りは動物性の香りに多く、鎮静作用のある香りは森林の香りに多いことがわかっています。この理由について鳥居先生は次のように推察しています。人間は原始時代から様々な香りのなかで暮らしてきたわけで、餌となる動物を求めて興奮し追いかけました。また外敵から姿を隠すために森に潜んで暮らしてきたのでしょう。そこはまた夜に眠るところでもありました。そのため動物の匂いは攻撃や興奮を意味し、森林の匂いは安らぎを意味したわけで森の香りに鎮静作用があるのは太古の森の香りに抱かれてひっそりと暮らしてきた人間の古い脳の記憶がいまだにしっかり私たち現代人にも刻み込まれているせいかもしれないのです。

図1 精油のCNVに及ぼす効果

3.香りによる自律神経活動の測定 

 精油の香りは交感神経あるいは副交感神経のどちらを刺激するのでしょうか。永井克也先生(大阪大学蛋白質研究所)はグレープフルーツ精油とラベンダー精油を用いてウレタン麻酔ラットの副睾丸脂肪組織、肩甲間褐色脂肪組織、副腎を支配する交感神経、胃を支配する副交感神経の電気活動を測定しました。その結果、グレープフルーツ精油の匂い刺激は交感神経活動を促進し、胃の副交感神経活動を抑制しました。逆にラベンダー精油の匂い刺激は交感神経活動を抑制し、副交感神経活動を促進しました。これらの匂い刺激効果は鼻粘膜のキシロカインによる局所麻酔や無臭症を引き起こすとされるZnSO4による鼻粘膜処理により消失すること、肺内への精油を含む空気の注入では起こらないことなどから鼻粘膜の匂い受容体を介して引き起こされるものと考えられます。さらにグレープフルーツ精油とラベンダー精油の脂肪分解、体温、摂食量および体重に対する影響を検証した結果、(1)交感神経を興奮させるグレープフルーツ精油の匂い刺激は脂肪分解と熱産生を促進し、体重減少を引き起こす作用を持つこと、(2)交感神経を抑制するラベンダー精油の匂い刺激は脂肪分解と熱産生を抑制し、食欲を亢進させて肥満形成を促進し、体重増加を引き起こす作用を持つことなどが考えられます。なお永井克也先生のご研究により匂い刺激効果の有効成分のひとつはグレープフルーツ精油のなかのリモネンとラベンダー精油のなかのリナロールであることが明らかになっています。さてこうした効果はヒトでも有効なのでしょうか?永井先生と某TV関係会社の共同実験では半分に切ったグレープフルーツの匂いを30分嗅ぐと赤外線サーモグラフィー測定によるヒトの背中の体表面温度は匂い刺激開始90分後に2〜3°C上昇したそうです。

4.香りの抗不安作用の検証 

 現代人に心の病が増加しているといわれています。化学物質を使ってひとの心を変えることはできるのでしょうか。実は多くのひとが毎日のように化学物質によって心を変えています。その代表がエタノール(お酒)、カフェイン(コーヒー)、ニコチン(タバコ)です。では精油には心を変える作用(向精神作用)があるのでしょうか。梅津豊司先生(独立行政法人国立環境研究所主任研究員)は行動薬理学的手法を用いて精油の中枢薬理作用を検証しました。化学物質に抗不安作用があるか否かを調べる方法にはコンフリクト(葛藤)試験と高架式十字迷路試験があります。またコンフリクト試験にはゲラー型とフォーゲル型があります。ローズ、ラベンダー、イランイラン、カモミール、オレンジ、フランキンセンス、ジュニパー、サイプレス、ゼラニウム、ジャスミンの精油をマウスに注射して調べたところローズとラベンダーにのみ明確な抗コンフリクト作用が観察されました。またローズとラベンダーは高架式十字迷路試験においても抗不安作用が観察されました。ここで注意したいのはイランイランやゼラニウムも良い香りですが抗不安作用は認められなかったということです。つまり良い香りの精油イコール抗不安作用があるとは限らないのです。次にローズやラベンダーの精油による抗不安作用はどの成分によるものなのかを詳しく検証しました。その結果はローズの精油成分では表1に示すように2-フェネチルアルコール(2-フェニルエチルアルコール)とシトロネロールがゲラー型およびフォーゲル型コンフリクト試験で抗コンフリクト作用を発揮しました。ラベンダーの精油成分では表2に示すようにリナロールのみがゲラー型およびフォーゲル型コンフリクト試験で抗コンフリクト作用を発揮しました。

表1 ローズの化学組成とコンフリクト試験の結果。
+は抗コンフリクト作用のあること、−は抗コンフリクト作用のないことを示す。
表2 ラベンダーの化学組成とコンフリクト試験の結果

5.精油のモノアミン仮説 

 現代医学では心の状態や感情は脳内の神経伝達物質の挙動やバランスで説明されます。神経伝達物質で特に重要なのはノルアドレナリンとセロトニン、ドパミンの3つです。鳥居伸一郎先生(鳥居泌尿器科・内科院長)は精油の心理作用を神経伝達物質と結びつけて解釈する仮説(精油のモノアミン仮説)を提案されています。科学的な研究から導き出された説ではなくあくまで仮説ですが精油のパーソナリティを把握したり臨床での精油選択に有効、有用なのでご紹介したいと思います。鳥居先生は図2に示したように3種の神経伝達物質を「元気のノルアドレナリン」「安心のセロトニン」「満足のドパミン」と名付けています。ひとはこれらの神経伝達物質のバランスが崩れた場合に自ら元に戻る術を身につけているとされています。ノルアドレナリンを増加したいときにカフェイン、セロトニンを増加したいときにニコチン、ドパミンを増加したいときにアルコールといった具合です。では3種の神経伝達物質に関係する精油についてみていきましょう。

①ノルアドレナリンに作用する精油

 ノルアドレナリンはストレス環境や興奮時に分泌される神経伝達物質で血圧や心拍数を増加させます。鳥居先生はノルアドレナリンに作用する精油としてローズマリーやグレープフルーツ、レモンやオレンジをあげています。

②セロトニンに作用する精油

 セロトニンは感情や精神のバランスを整える神経伝達物質でノルアドレナリンやドパミンなどの他の神経伝達物質の調整も担っています。鳥居先生はセロトニンに作用する精油としてネロリやベルガモットをあげています。

③ドパミンに作用する精油

 ドパミンは快感や幸福感、意欲や達成感に関わる神経伝達物質です。鳥居先生はドパミンに作用する精油としてイランイランやローズ、ゼラニウムをあげています。なおペパーミントの成分のメントールはドパミン増加と共にセロトニンを増加させるメカニズムをもつようです。

図2 神経伝達物質と心の状態

6.おわりに 

 アロマセラピーの研究は香りの定量化が難しいことや作用経路が複数に及ぶことなどエビデンスを得るのに困難を極めます。今回、ご紹介したような地道な研究の蓄積があったからこそわが国のアロマセラピーが今日のような信頼を得ていることを最後に確認しておきたいと思います。

[参考資料]
・『香りの謎』鳥居鎮夫著 フレグランスジャーナル社
・『エッセンシャルオイルの薬理と心』梅津豊司フレグランスジャーナル社 
・『脳に効く香り』鳥居伸一郎 フレグランスジャーナル社

特定非営利活動法人 日本メディカルハーブ協会 理事長
林 真一郎 はやし しんいちろう
東邦大学薬学部薬学科卒業。グリーンフラスコ株式会社代表、東邦大学薬学部客員講師、静岡県立大学大学院非常勤講師、日本赤十字看護大学大学院非常勤講師、ソフィアフィトセラピーカレッジ代表。医師・鍼灸マッサージ師・助産師・薬剤師などとネットワークをつくり、情報交換を行いながらホリスティック医学としてのアロマセラピーやハーブ療法の普及に取り組んでいる。著書に『アロマ&ハーブ大事典』(新星出版社)、『臨床で生かせるアロマ&ハーブ療法』(南山堂)、共著に『高齢者介護に役立つハーブとアロマ』(東京堂出版)など。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第73号 2025年9月