2025.10.23

ハーブ療法の母・聖ヒルデガルトの自然学:錬金術との関係 パラケルススへの系譜

国際ヒルデガルド会 DanielaDumann 認定 ヒルデガルトヘルスケアアドバイザー

長谷川 弘江

 聖ヒルデガルトが書き残した幻視に現れたウロボロス(世界蛇)、そして火や樹木のイメージは、錬金術書にもよく記されるものでした。恩師大槻先生は、『記号・図説錬金術事典』(同学社)、『新錬金術入門』(ガイアブックス)と15世紀の錬金術師・医師・科学者・神秘思想家として有名なパラケルススの著作を訳していたので、著書や寄稿の中に聖ヒルデガルトと錬金術思想の関係を書かれていました。先生は「錬金術とは、価値のないものを金に錬成するだけではなく、高潔な精神性もしくは究極の医薬品(賢者の石またはエリクサー)を創ろうとする化学や医学の礎になるもの」とよくおっしゃっていました。

 12世紀のヨーロッパにおいて一人の確固とした影響力のある思想家として、種村季弘氏の『ビンゲンのヒルデガルトの世界』が示す同時代の記録によれば、ヒルデガルトは「その教説・知識は、一般民衆から神聖ローマ皇帝バルバロッサ、あるいは当時の最高知識人であった名高い高僧クレルヴォーのベルナールに至るまで、あまねく幅広い階層を魅了した」(p.78)と。神秘的な幻視をめぐる象徴的テキスト”Scivias”という彼女の最初の著作は1141年に着手され、その後約10年の歳月をかけ完成します。”Scivias”とは、ラテン語で“道を知れ”という意味で、”SCI”は後に”科学=SCIENCE”の語源となった知識・知ることを表し、一方の道という意味の”VIAS”は、たとえばフランス語で人生や生活、生業などの意味で使われる”VIE”として今に伝わると。1147年のトリーア公会議の席上、時のローマ教皇エウゲニウス3世は”Scivias”を自ら朗読し、クレルヴォーのベルナールらと共に、彼女の宗教的な正当性に関して、教皇庁の確たる、そして最高の承認を与えました。種村氏は、ここに注目します。なぜならこの時代の女性にはまず、学問(スコラ)というものを身につける機会が全く与えられていません。聖書を含む全ての書物は、ローマ帝国の公用語であったラテン語を習得しなければ、読むことができません。しかもローマ・カトリック教会は、こうした学問的素養なくして正当な聖職者として活動できないことから、ラテン的な教養を極めて厳しく要求したのにも関わらず、彼女を認めたのです。彼女のその深い知識とシンボライズされた幻視は、どこからきたのでしょうか? それを錬金術の御技とリンクしているのではと。

 阿部謹也氏は『ハーメルンの笛吹き男 —伝説とその世界』で、中世ドイツのローマ・カトリックの初期のキリスト教神父たちが、厳しい態度で音楽とその演奏者たちに臨んでいたことを著しています。彼女は、詩だけでなく旋律も創作した点で、当時としても非常に際だった存在で、今も癒しの音楽として注目されているのも踏まえ、彼女がいかに当時のキリスト世界から反したことを行いつつも、受容されていたのは、なぜか?と(p.138)。種村氏は『パラケルススの世界』1976年,p.135にも「パラケルススがアグリッパと結びながらトリテミウスを通じて享けた源泉が、かくてビンゲンの聖女ヒルデガルトに遡り、そこからヌルシアのベネディクトを経て古代オリエント−エジプト−シリアの密儀につながっていた、と想像することは大胆にすぎるのであろうか」と。

 また『パラケルスス 自然と啓示』ゴルトアンマー著1986年,p.148「ヘルメス学的、神秘主義形而上学的、自然哲学的な象徴を活用している。興味をひくのは、彼が12世紀のドイツの尼僧院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを知っていたことである。彼女もまた、重要な宗教的、神秘主義的著作と、自然科学や医学の著作とを同時に残している」と。

 ガレノスやアラビア医学を批判し、独自の思想を展開したパラケルススは、数々の職業病や風土病を調査し、特に沈殿要因の塩による病気、その他精気的水銀の薬剤効果などから、鉱物的医化学薬を開発します。従来の体液病理説ではなく、天体因・毒因・自然因・精神因・神因という5つの病因説を唱え、四元素・四体液などもとりこみ、以上の要因を元にして、再構築しました。主に癒しと健康回復が目的とした実践的で、人々の日常生活に役立つ事、神への奉仕と結びついた宗教的な啓示もある聖ヒルデガルト療法と比べ、より理論的・実験的・神秘的な操作です。パラケルススも、「肉体そのものも錬金術である」と現代の生化学と化学を結びつけた科学論を著しました。

 彼のスパジリック療法と植物の対話をテーマにイタリアのヴェネチア・カフォスカリ大学大学院環境人文学修士課程を修了し、人類学的な手法のフィールドワークにより植物と人との関係性を研究している高橋未央さんのスパジリック体験会に参加してきました。2023年のベネチア建築ビエンナーレのホーリーシーパビリオンの作った薬草園のクロージングイベントを主催し、植物と人にまつわるパラケルススのマクロコスモ/ミクロコスモ論を実践的なワークショップで検証し、イタリアで今も錬金術手法によるスパジリック製剤を作っている人々のインタビューも含めて刺激的でした。以前、大槻先生と訳していた『Frater albertus Alchemists handbook』1960年には「錬金術とは何か?共鳴(バイブレーション)を起こすことです」と第一章にありますが、最近のヒルデガルト療法もこの共鳴を起こすことに注目されています。

 緑の力が皆様の傍に寄り添っていることを。ご健勝を祈ります。


高橋未央さんのInstagram
https://www.instagram.com/plantsandpeoplelaboratory

国際ヒルデガルド会 DanielaDumann 認定 ヒルデガルトヘルスケアアドバイザー
長谷川 弘江 はせがわひろえ
ヒルデガルトフォーラム・ジャパン副代表。英国ハーブ医学校通信課程修了。ハーブ医学とヒポクラテス、ディオスコリデス、プリニウス、パラケルスス研究の大槻真一郎氏、ドイツハイルプラクティカー連盟(BDH)副会長・民族医療協会"Gyu zhi"主宰ペーター・ゲルマン氏に師事。伝承と身近な植物のルネサンスをテーマに活動中。『ヒルデガルトの宝石論―神秘の宝石療法(ヒーリング錬金術)』大槻真一郎著(コスモスライブラリー)で解説を執筆する他、著書多数。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第72号 2025年6月