2023.1.3

ディオスコリデスの時代とその思想: ディオスコリデスの思想

明治薬科大学名誉教授

岸本良彦

Pedanius Dioscorides(c40-c90AD)

『薬物誌』第1巻序では先行する薬物学者を二分する。


前半のビテュニアのイオラス、タレントゥムのヘラクレイデスに対しては、テオプラストスのような植物自体に関する記述のないこと、クラテウアスとアンドレアスに関してはその事項に見落としのあることを指摘しているが、概ね肯定的に評価する。

それに対して後半では昨今の人々としてバッスス、ニケラトス、ペトロニウス、ニゲル、ディオドトスなどのいわゆるアスクレピアデス派を一括して批判する。

ガレノスの用語では彼らは方法学派だが、ケルススも、アスクレピアデスの後継者テミソンは若干の点で師説から逸れたといっているので、この学派の医師がアスクレピアデスを無意識的にいわば祖師としていても、方法学派全体の考えがそのままアスクレピアデスの説とは限らない。

例えばソラノスのように方法学派の第1人者とされながらアスクレピアデスの説を批判する人もいる。だが、ディオスコリデスがここに一括して名を挙げた人々は、基本的に薬物に関しては同じような考え方をしていたのであろう。

そこでまず比較的肯定的に評価されたヘラクレイデスとアンドレアスを取り上げてディオスコリデスとの関連を述べ(イオラスについては詳細不明なので取り上げない)、次に方法学派のどんな点に批判的だったのか考察する。

ヘラクレイデスとアンドレアスは、大きな医学派の流れの中で見ると、アレクサンドリアの著名な医師ヘロピロス(ヘロフィロスとも記される)の影響を強く受けている。
ヘロピロスはB.C.330〜320年頃カルケドンで生まれ、ヒポクラテスの出身地コスでプラクサゴラスに学び、アレクサンドリアで医師・医学者として名を挙げ、多くの弟子を養成してB.C.260〜250年頃に亡くなったとされる。


ヘロピロス自身及び彼の後継者が重視し発展させた分野のひとつが薬物学である。彼の薬物に対する考え方は「薬物は神々の手」ということばに表れている。

人はその効果を発揮させる代理人で、人が薬物を正しく使用しないかぎり、それ自体は何ものでもないとする。この考えの下にヘロピロスは植物と動物から得られる薬物を積極的に使用した。

プリニウスの『博物誌』第25巻15にも「植物の力によって成し遂げられないことは何ひとつとしてないが、多くの植物の力は未知のものだ」と考えた人としてヘロピロスの名が見える。彼は主として単純薬を用いたようだが、それを継承して混合薬の分野を発展させたのが、ヘロピロス学派のマンティアス(B.C.c.165〜90年)だった。

ガレノスも彼を混合薬の伝統における真の父と認めている。そして彼の弟子がヘラクレイデス(B.C.75年頃壮年)である。ディオスコリデスの混合薬に関する所説はおそらくその系統に連なる面があろう。また彼の採用した薬物にはエジプト起源のものが少なからずあったという。これも『薬物誌』に採用されたように思われる。

アンドレアスはマンティアスよりほぼ1世紀前の医師で、ヘロピロスの直接の弟子である。彼は思弁的な事柄にはあまり関心のない一種の合理主義者で、当時としては珍しく魂の実在を否定したようである。薬物に関しては『咬傷について』と’Narthex’の2著作が知られている。

前者は有毒動物に咬まれた時の解毒剤を扱ったものである。後者のギリシア語は「手箱」「薬箱」の意で、植物薬や化粧品について述べた著作のようである。『薬物誌』に香油・香料の類に関する記述や肌をととのえる薬物のことが見えるのも、アンドレアスから何らかの影響を受けたからであろう。

また『薬物誌』では薬物の効能を説く際、粘液・胆汁両者の浄化作用や胆汁ないし水様体液の排出作用を挙げる。これはいわゆる体液病理説による説明で、これもヒポクラテスの系統を引くヘロピロス学派に由来するように思われる。

『薬物誌』の記述はクラテウアスとセクスティウス・ニゲルから採ったものが多いとされる。そのニゲルを含むアスクレピアデス派に対して批判的な理由は、たんに薬物の取り違えがあるというだけでなく、序に「(薬物の)効く理由を空虚なことばで説明してそれぞれの薬物に微粒子の相異があるとする」と記すように、一種のアトミズムに基づく薬物の作用機序の説明を斥けたからである。

アスクレピアデス派は身体が細孔(poroiラテン語ではforamina)を流れる微粒子(onkoiラテン語ではcorpuscula)によって構成されると考える。

この微粒子の流れが細孔の閉塞その他の理由で滞って凝集すると(これを彼らはギリシア語でsynkrisisという)発病して熱が出たり炎症を起こしたりする。それを癒すには細孔を開いて通りをよくし(これをporopoiiaという)、凝集状態を解消する(これをmetasynkrisisという)必要がある。

そういう身体に働きかける作用を持つものとして薬物の微粒子を想定したのであろう。その場合、薬物を混合しても微粒子本来の性質に何の変化も起こらないと、各薬物の性質を変えていっそう強力な効果を得ることはできないはずである。

これは後のガレノスによる方法学派のアトミズム的薬効論批判だが、ディオスコリデスもそれに類する考え方をしたのであろう。ただし彼もmetasynkrisisやporopoiiaなどの彼らの術語を適宜利用して、薬物による身体の具体的な状態の変化を記述する。

当時の1医学派の理論のみに左右されず、薬物の効能を適切な表現を用いて具体的に言い表そうとしたのであろう。

最後にクラテウアスについていうと、彼はポントスのミトリダテス6世(B.C.120〜63年)に仕え、患者の治療よりも専ら薬物とその効能の研究を行い、『薬用植物論』(Rhizotomikon)という書を著した。

これは薬用植物をαβ順に記述したもので、未知の植物の記述を含むこととギリシア世界に初めて鉱物薬を導入したことで注目される。

ディオスコリデスもこの書を典拠のひとつとした。この書には植物の彩色画が掲載されていたが、プリニウスは『博物誌』第25巻8で、それは魅力的な方法であっても植物の形態の1面しか表せないから誤解を招きやすいと批判する。ディオスコリデスもやはり彩色画は採用しなかった。

明治薬科大学名誉教授
岸本良彦 きしもとよしひこ
1946年生まれ。明治薬科大学名誉教授。ギリシア語ラテン語科学史関係の文献の翻訳に従事。訳書:『ディオスコリデス薬物誌』(八坂書房)、『プリニウス博物誌』「植物篇」「植物薬剤篇」
.(共訳、八坂書房)、『ヒポクラテス全集』(共訳、エンタプライズ社)等。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第61号 2022年9月