2021.8.6

テオフラストス–ディオスクリデス–プリニウス

東京大学名誉教授 東京大学総合研究博物館特招研究員

大場秀章

西ローマ帝国の滅した西暦476年からビザンツ帝国が滅んだ1453年までの約千年を中世と呼ぶことを再三書いた。中世以前の自然や植物の理解が、中世間のキリスト教的審判に晒され多くで曲解が進んだ。中世末期に興ったルネサンス運動は、ギリシア・ローマの昔に戻り変節を撤回し、また謙虚に自然そのものを見ることを標榜した。薬草を含む後世の植物研究に、古典としてルネサンス期以降に大きな影響を及ぼしたのは、哲学者テオフラストス、医者のディオスクリデス、博物学者のプリニウスの著作である。

日本でも明治薬科大学の大槻真一郎名誉教授と協力者やその他の方々の努力によって彼らの主要著作が日本語でほぼ読めるようになりつつある。

テオフラストス(紀元前372/69年〜前288/85年)

紀元前370年頃に生まれたテオフラストスは、紀元1世紀に生まれている他の2人とは300年以上離れた先達である。偉大な哲学者アリストテレスの学院リュケイオンを継いで学頭の地位にあった。テオフラストスは、アリストテレスがやり残した植物についての研究を続けた。師の『動物誌』などを範とし、その植物版として『植物誌』ならびに『植物要因論』を著した。哲学者の著作というとテキストの難解さを想像してしまうが、雑駁な表現を許してもらえば、植物とそのからだのつくりや機能、多様さ、分類のしかたなどを実例をあげて記述した、植物学の教科書といえるだろう。また、ギリシアを中心とした地域の植物相の特徴やそれを代表する種の解説も含まれている。その9巻「植物の液汁、および医薬としての液汁の特性について」(題は後代の補記)は、ギリシアの薬用植物についての現存最古のまとまった記述である。プリニウスにもディオスクリデスにも関連する記述が多数あり、300年以上にわたる伝承の重みに打たれる。しかし、この巻が他者の作とする説も広くいわれている。

プリニウス(22/23年〜79年8月25/24日)

プリニウスは自然界の諸事百般について当時の情報を集大成した百科事典的著作である『博物誌』を著した。現在はイタリアの最北端ともいえるコモで生まれ、終生読書にいそしんだ。官職にもつくが、その間も読書と自然の観察は続けられ、『博物誌』の記述を豊かなものにしたといわれている。彼の時代、自然法則に従って徳の高い生き方をすることを求める、ストア学派の哲学が一定の支持を得ていた。自然界の深い理解が特に彼らに望まれていた。

79年ポンペイやヘラクラネウムを壊滅させたヴェスヴィオ火山の噴火があった。そのときプリニウスはローマ西部艦隊司令長官の任にあり、火山から近いナポリ近郊のミセヌムにいた。火山への興味、友人のポンポニアヌスの救出が彼をしてナポリ湾を渡らせ、スダビエに上陸させたが、そこで遺体となって発見された。

プリニウスの植物についての記述は『博物誌』全37巻中の12~19巻と20~27巻を占め、ぼう大な量に達する。およそ50ヵ所でテオフラストスからの引用があるほか、他の多くの記述でも明らかにその著作が参照されている。

取り上げられた植物には本連載その10でも取り上げたヒマラヤ原産のスパイクナード(Nardostachys jatamansi(D.Don)DC.)のように、テオフラストスもディオスクリデスも記述しているものも数多い。スパイクナードには偽物も多く、情報収集に長けたプリニウスはそれらを詳しく記述する。後半の20~27巻では、薬効と処置、薬としての処方なども詳しく記述されている。誰しも期待するのは、時代が重なるディオスクリデスの『薬物誌』との、植物の同定を含めての対照である。

ディオスクリデス(紀元1世紀)

ディオスクリデスは現在はトルコに入るキリキア地方のアナザルバに生まれた。タルススのアレイオスの弟子で、長じてはローマ軍と行動を共にもし、広い版図を歩き実地に薬草を探索したようだ。だが、生年・没年は不祥であり、生涯も不明の部分が多い。本連載でもディオスクリデスのことを取り上げてきたので、参照していただきたい(大場、2010、2012)。

上記の3賢人の著作には、地中海周辺を中心とする地域に自生あるいは栽培される植物についての記述が圧倒的に多い。その3賢人が、哲学、博物学者、医者と関心の主たる領域が異なるため、同一の植物であっても記述の対象や関心の部位などが相違していて、読む側からは興味深い。ただディオスクリデスが直接にテオフラストスの名をあげ、その記述を引用していることはない。また、ほぼ同時期に著述を進めていたプリニウスからの引用もない。しかし、テオフラストスを読んだことが明らかな記述も数々あることから、プリニウスに匹敵するぼう大な植物・薬物文献を彼も参照していたと推測されている。当時イタリアでは図書館はぼう大な古代ギリシアやローマ時代の著作を収蔵していた。彼らは文献検索というよりも読破にはかり知れない時を費やしていたに違いない。

記述には詳しいものもばかりではなく、断片的なものもあるなどさまざまだが、対象の植物が何かが定かでないために、具体的なイメージが浮かばず隔靴掻痒かっかそうようの感を覚えることが多い。彼らがギリシア語またはラテン語で記述する植物が何種に当たるのか、それを確定する研究が古代ギリシア・ローマ時代の薬物を含む植物研究で重要な意味をもつ。しかし研究は遅れている。モーリー(moly)や重要な薬剤であったシルフィオン(silphion)など、一部の植物を除けば、いまだ正体不明な植物が大半なのである。

最近といっても1995年代からギリシア・ラテンの古典に登場する植物の研究を進めていた、スザン・アミグ(Suzanne Amigues)が2001年にそれらをまとめた注目の1書を出版した。同書は古代ギリシア・ラテン時代の植物研究の新たな指針となるものである。大部の著作で、容易に消化できるものではないが、ディオスクリデス時代のメディカルハーブに関心を抱く方々に推薦したい。テオフラストスの『植物誌』で記述された植物には薬物としてディオスクリデスに登場するものも多い。そのアミグによる校訂本からの翻訳が小川洋子によって進められており、全3分冊中の2冊が京都大学出版会から上梓されていて、これもディオスクリデス研究者に必携の1書といってよい。

(引用文献)
1)Amigues,S.2002.Études de Botanique Antique. Mémoires de lʼAcadémie des Inscriptions et Belles-Lettres, Tome 25, XV+501pp.Paris:Diffusion de Boccard.
2)大場秀章,2010.植物分類学上のメディカルハーブ,その1.Medical Herb.13:16-17.
3)大場秀章,2012.植物分類学上のメディカルハーブ,その10.Medical Herb.22:16-17.
4)小川洋子,2008/2015.テオプラストス『植物誌』,I(2008),2(2015).京都:京都大学出版会.

東京大学名誉教授 東京大学総合研究博物館特招研究員
大場秀章 おおばひであき
当協会顧問。1943年東京生まれ。東京大学総合研究博物館教授。現在は東京大学名誉教授、同大学総合研究博物館特招研究員。専門は植物分類学、植物文化史。主な著書に『バラの誕生─技術文化の高貴なる結合─』(中央公論社、1997年)、『サラダ野菜の自然史』(新潮社、2004年)、『大場秀章著作選集I,II』(八坂書房、2006・07年)など。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第33号:2015年9月