2021.6.3

植物たちが秘める“健康力” 森林浴の効果

甲南大学特別客員教授

田中修

植物たちがつくりだす物質、特に活性酸素の害を消去する抗酸化物質が、私たち人間の健康を守ってくれていることを、この連載で説明してきました。今回は、植物がつくりだす香りのはたらきについて紹介します。

植物たちがつくりだす物質、特に活性酸素の害を消去する抗酸化物質が、私たち人間の健康を守ってくれていることを、この連載で説明してきました。今回は、植物がつくりだす香りのはたらきについて紹介します。

森や林の中で、浴びるのは?

「海水浴」や「日光浴」と並んで、「森林浴」というのがあります。近年、これは、日本だけでなく、世界でも人気で、「シンリンヨク」という語は、英語でも通じるようになっています。森林浴には、「緊張がほぐれて、リラックスした気持ちになれる」、「ストレスが解消される」、「身も心もリフレッシュする」などの効果がいわれます。

森の中では、緑や静けさ、湿り気やきれいな空気などを浴びますが、森林浴の効果をもたらすのは、主に、木々の葉っぱや枝、幹が出す、ほのかな香りと考えられます。この香りは、「フィトンチッド」とよばれます。

これは、1930年、ソ連のレニングラード大学のトーキン博士が、「植物は体から、カビや細菌を殺す物質を出し、自分の体を守っている」との考えを提唱したときの物質であり、香りなのです。「フィトン」は、ギリシャ語で「植物」を指し、「チッド」は、ラテン語で、「殺す」という意味です。

植物が出す香りは、ほのかなものであっても、抗菌、殺菌作用をもち、カビや病原菌を遠ざけたり退治したりするのです。そのため、私たちは、暮らしの中で、これらの香りを利用しています。たとえば、サクラ餅のクマリン、カシワ餅のオイゲノール、刺身に添える大葉(シソ)のペリルアルデヒドなどの香りで、食べものの保存をはかっています。

フィトンチッドの私たちへの効果とは?

「木々が出すほのかな香りに、そのような効果がほんとうにあるのか」との疑問をもたれることがあります。それに対しては、「交感神経の活動が抑えられ、副交感神経の活動が活発になる」と説明されることがあります。たしかに、交感神経の活動が抑えられると、緊張感の高まりは和らぐはずです。また、 副交感神経の活動が活発になると、気持ちがゆったりとして、リラックス感が出るはずです。そのため、この説明は理屈的に理解できます。

しかし、交感神経の活動が抑えられるのも、副交感神経の活動が高まるのも、実感があまりありません。そのため、「そう思わされているだけかもしれない」との、疑り深い思いが残ります。そこで、ここでは、「森林の香り」とよばれ、森林浴の主役となっている、「ピネン」という香りの効果を取り上げ、具体的に納得できる形で、近年の森林浴の効果を紹介します。

ピネンという香りの名前は、マツの英語名「パイン(pine)」に由来して生まれており、ピネンはマツの香りの主な成分なのです。この香りは、マツ以外にも、スギ、ヒノキ、クロモジなどに多く含まれています。この香りで明らかになっている、主に3つの効果を紹介します。

香りは、“ただもの” ではない!

一つ目は、私たちの心拍数を減らすことです。約22歳の人を対象に、1分間あたりの心拍数が調べられました。すると、ピネンを含まない空気を90秒間嗅いだときには、平均約74〜75回でしたが、ピネンを含んだ空気を同じように90秒間嗅いだ場合には、平均72〜73回と低下しました。わずかな違いですが、ピネンの香りを嗅ぐことによって、心拍数が減り、リラックスしていることが示されたのです。

二つ目は、眠りに入るまでの時間の短縮です。20代の男子大学生を対象として、ピネンの香りを嗅いだあと、眠りに入るまでの時間が調べられました。何の香りも嗅がない人と、安眠、鎮静やリラックス効果があるといわれているラベンダーの香りを嗅ぐ人と比較されました。ラベンダーの香りを嗅いだ人は、何の香りも嗅がない人に比べて、この時間が短くなりましたが、ピネンの香りを嗅いだ人は、ラベンダーの香りを嗅いだ人より、早く眠ることができました。つまり、ピネンは、ラベンダーの香りよりも、眠りにつかせる効果が強いことになり、リラックスをもたらす効果が優れていることが示されたのです。

三つ目は、「コルチゾール」という物質の量を減らすことです。これは、「ストレスホルモン」とよばれ、私たちがストレスを感じると、唾液の中に増えてくるものです。20代の男子学生12人を二つのグループに分け、一方のグループには、1人ずつ別々に、森林の中を約15分間、別のグループには、1人ずつ、街の中を約15分間、歩いてもらいました。

その結果、森林を歩いた人では、街の中を歩いた人に比べて、唾液中のコルチゾールの濃度が15.8パーセント低くなったのです。コルチゾールの濃度が低下したのは、森林浴がストレスを緩和したといえます。この結果は、日本全国35カ所で、延べ人数420人が対象となって、同じような形式で行われ、この傾向は確認されました。 

以上の三つの効果で、木々から出されるほのかな香りといっても、香りは“ただもの”ではなく、その働きは、ほのかなものではないことが納得できます。ただ、香りの効果は、その強さや、嗅ぐ人により、大きく異なることは知っておかなければなりません。

甲南大学特別客員教授
田中修 たなかおさむ
京都大学農学部卒、同大学院博士課程修了(農学博士)。米国スミソニアン研究所博士研究員などを経て、現職。近著に、令和の四季の花々を楽しむ『日本の花を愛おしむ』(中央公論新社)、食材植物の話題を解説した『植物はおいしい』(ちくま新書)、草・木・花のしたたかな生存戦略を紹介した『植物はなぜ毒があるのか』(幻冬舎新書)など。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第56号 2021年6月