2018.3.1

解毒薬 ─毒消丸と毒掃丸─

京都薬科大学 名誉教授

吉川正雅

はじめに

日本の自然毒には、①トリカブト属植物(毒成分はアコニチンなどのジテルペンアルカロイド類)やドクウツギ(毒成分はコリアミルチンなどのセスキテルペンラクトン類)、ドクゼリ(毒成分はシクトキシンなどのアセチレン類や偽アルカロイドのコニイン関連成分)などに由来する植物毒や、②毒蛇(マムシなど)、毒虫(マメハンミョウなど)、有毒魚(フグなど)に含有される動物毒、③ボツリヌス菌、サルモネラ菌、病原性大腸菌などの毒素や毒キノコ(カエンタケなど)由来の微生物毒、④ヒ素やカドミウム、タリウムなどの鉱物毒が知られています。今日これら毒素の解毒法として、血清や解毒剤、胃洗浄のほかに催吐剤や緩和剤、吸着剤が用いられて治療されますが、昔はユニコーン(一角獣、実際は鯨の仲間のイッカク)の角(角様の牙)製スプーンでまぜるとか、犀角さいかく(サイの角)の盃を使うと無毒化するなどと考えられていました。最近よく耳にするデトックスも、体内から毒素や老廃物を取り除くことと理解されますが、医療における解毒とは異なり、科学的根拠の乏しいものも存在するそうです。

一方、中国伝統医学や漢方における毒の意味は、物質の毒性のほかに病因や病証を指す場合が多くあります。そして解毒とは、血分(血が存在する範囲)の熱毒を涼血することや、寒邪が極めて盛んとなり毒を成すものを去ることなどと考えられました。江戸時代の古方派、吉益東洞よしますとうどうの唱えた病理説に“万病一毒説”があり、病は体内に生じた毒が原因で、下剤などで駆逐し毒を去れば病も去ると提唱しました。一方、民間療法では腐敗食品や有毒植物の摂取による食中毒を治療するために毒消し薬を用いました。また、安土桃山時代以降に日本で蔓延した梅毒および梅毒に起因した皮膚疾患の治療には毒下し薬が用いられました。本稿では、菊名石きくめいせきを配剤した越後の毒消し“毒消丸”と山帰来さんきらいが配合された“毒掃丸”について紹介します。

菊名石と毒消丸

“毒消しゃいらんかね―”との独特のアクセントの売り声で、手甲脚絆てっこうきゃはん(手甲:上腕から手の甲までを覆うように装着する衣類の一種、脚絆:脛の部分にまく被服、ゲートル)に草履ばき、かすりあわせにもんぺ姿の若い娘が一軒一軒人家を訪ねて“越後の毒消丸”を売り歩いておりました。この風情は昭和28年頃に宮城まり子が歌って流行した歌謡曲『毒消しゃいらんかね』で有名になりました。薬効は食傷、胃痛、便秘などの改善で、江戸時代初期に越後の角海浜村かくみはま(新潟市西蒲区巻地区の沿岸部)が発祥と伝えられます。その由来は、村の浄土真宗の称名寺の泉慶順和尚が霊薬を授与される夢見の後に、難渋した旅の僧を手厚くもてなしたところ、毒消丸とその製法を授かることができたなどと伝えられます。毒消丸は称名寺を中心に巻地区で製造され、当初はこの地区の男性が行商を行いましたが、関所の廃止や女性の行商禁制が撤廃された明治時代から女性が行商に参加することで飛躍的な発展を遂げています。昭和初期には千数百人の売り子が全国で販売していたそうです。毒消丸という家庭薬は熊本にも存在し、今日でも“諸毒消丸”の名前で発売されていますが、処方構成が“越後の毒消丸”とはまったく異なります。“越後の毒消丸”の処方には、菊名石と硫黄が配剤されているのが特徴といえます。菊名石は菊銘石、菊明石、菊目石とも記載され、イシサンゴの一種で腔腸動物のキクメイシが海中の岩に作った炭酸カルシウムの骨格部分です。菊名石には解毒効果が期待され、また硫黄は体内で硫化水素になって大腸を刺激して瀉下効果を示したと思われます。処方内容と薬効の類似性からそのルーツは金屑丸きんしょうがんと推定されます。金屑丸は菊名石と硫黄を配合した毒消し薬で大変古くからある京都山科の有名売薬ですが、越後の毒消丸との関連は明らかにされていません。越後の毒消丸(滝沢家処方、大正初年頃)の効能は食傷(食中毒)、飲食あたり、胃痛などの治療で、処方は白扁豆(30匁)、硫黄(55)、菊名石(15)、天花粉(15)、甘草(3)、澱粉(適量)になっています。

越後の毒消丸の構成生薬─主剤は硫黄と菊名石─

ハクヘンズ(白扁豆)

マメ科フジマメの種子。健胃、解毒作用および嘔吐、下痢、食欲減退の改善。

テンカフン(天花粉)

ウリ科キカラスウリの根の微細粉末。皮膚に散布し、あせも、ただれの予防に用いる。
硫黄、菊名石は本文を参照、甘草は本誌の家庭薬④に収載。

山帰来と毒掃丸


最近、梅毒の患者数が激増しているニュースがありましたが、南蛮交易が始まった安土桃山時代以降、梅毒は流行を繰り返してきました。江戸時代には一般庶民の梅毒感染率は50%であったともいわれております。その当時の梅毒の治療に用いられていた生薬に軽粉(塩化第一水銀)と土茯苓どぶくりょうがあります。土茯苓は江戸時代に中国から輸入された生薬の中で最も量が多く、例えば1754年には約400トンが輸入され、その年の中国船による輸入生薬の45%に当たるそうです。最大の輸入国であった日本では、土茯苓を山帰来という名前に変えて販売しました。山帰来という名前は、梅毒に罹った若者が山に追いやられましたが、山帰来を食して元気になって山から帰って来たとの中国の昔話に由来すると伝えられますが、実際は名前も由来も販売促進のための日本での創作と考えられています。しかし、山帰来は解毒効果とともに、軽粉治療による水銀中毒の軽減効果もあったので繁用されたと思われます。

明治20年頃に、山帰来を配合して梅毒などに有効として販売されたのが毒掃丸です。明治30年以降、大正、昭和にかけて大々的に売り出され、薬効も梅毒、燥毒、淋毒、湿毒、胎毒の除去でした。昭和20年以降、効能は便秘、胎毒、腰痛、関節痛などの改善に変わりました。今日の複方毒掃丸((株)山崎帝國堂)の効能は、便秘と伴う吹き出物、肌荒れ、食欲不振、腹部膨満などの緩和になっています。処方(1日量90丸中)は大黄(1.2g)、営実(0.8)、山帰来(0.8)、甘草(0.5)、川芎(0.5)、厚朴(0.4)と添加物です。

複方毒掃丸の構成生薬─主剤は山帰来─

ダイオウ(大黄)

タデ科Rheum palmatumなどの根茎。瀉下、駆瘀血薬。

エイジツ(営実)

バラ科のイバラの偽果または果実。瀉下、利尿薬。

サンキライ(山帰来)

ユリ科ケナシサルトリイバラの根茎。漢名は土茯苓。慢性皮膚疾患の排膿解毒、体質改善。
その他の生薬は本誌の家庭薬①、③に収載。

おわりに

昔の一般庶民は、重病でもない限り高額な医療費が必要な医師にかかるよりも家庭薬(売薬、家伝薬、伝統薬)を用いて自分で治療しました。家庭薬は日本の風土が生み育てた薬であり、日本のセルフメディケーションの先駆けといえます。しかし、近年の医薬行政の変革によって多くの家庭薬が姿を消し、人々の記憶からも忘れ去られております。また、学問的にも生薬や漢方処方については盛んに研究されてきましたが、家庭薬については研究されておりません。今後の研究進展を期待するところです。

京都薬科大学 名誉教授
吉川正雅 よしかわ・まさゆき
当協会顧問。1976 年大阪大学大学院薬学研究科修了(薬学博士)後、同大学助教授、ハーバード大学化学科博士研究員、京都薬科大学教授を経て、現在同大学名誉教授。日本薬学会奨励賞、同学術貢献賞、日本生薬学会学会賞など受賞。日本生薬学会会長、日本薬学会生薬天然物部会長などを歴任。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第43号 2018年3月